「成長したいけど、痛みが伴うのは嫌だ。」
って、無意識に思って、痛みから避けようとしたこと、247回ぐらいありますよねw
僕も高校生の頃や大学生の頃は、
「気になるあの子に連絡先聞きたいけど、自分から話しかけに行くとか無理やわぁ。。」
って余裕でビビり散らかしてましたw
ある日の下校前、時刻16時半頃。
気になるみずきちゃんが1人で校舎を歩いていたんですよ。
「これは連絡先を聞くまたとないチャンス!」
と思い、恐る恐るみずきちゃんに近づこうと、気配を消して後を追いかけて、
「あとはもう話しかけるだけ」
という寸前のところまで来たんですが、身体が緊張でこわばって、足がすくんで動かない。
さすがに1人では連絡先を聞く勇気もなかったので、仲の良い友達2人についてきてもらったんですが、
何もできない僕を見かねて、友達が2人がかりで僕の腕を掴んだり背中を強引に押して、
「おい!お前今しかないぞ!」
って力強く僕を送り出そうとしてくれたんですが、
「分かるけど、絶対無理や、、」
って心臓がバクバクになり、近くの柱に全力でしがみついてしまいましたwww
「嫌われたら終わりや。。」
その気持ちがいつも僕の行動をストップさせ、その度に自分への自信を喪失していきました。
声も震えそうになるし、頭の中ではネガティブな考えが堂々巡りして、抜け出せない沼にハマった感覚。
勇気を振り絞って一歩踏み出せば、もしかしたらみずきちゃんと付き合えるかもしれないのに、勇気を振り絞ることができずに自己嫌悪に陥る日々でした。
そんな様子を見ていた友達からは、
「ヘタレ・チキン・ビビり」
とあだ名をつけられ、最強にイケてないやつの称号を与えられました。
誰よりもスケベでモテたい気持ちがあるのに、一番報われてないみたいなニュアンスで、一番バカにされてました。
現実では良い思いができなかったので、悔しさのあまり「シコリンピック」を開催して、父親にオナニー現場を目撃されるまで、これでもかと毎日シコリまくってました。
高校時代は僕が学年で一番最初に「TENGA」デビューを果たしました。
コンビニの成人雑誌コーナーにあるエロい雑誌の付録でついていた「成瀬心美(当時は超人気AV女優)の匂い付きパンティ」をゲットして、一目散にパンティの良い匂いを嗅いで友達に感想を伝えていました。
その時代にアフィリエイトを知っていたら、ブログでレビューブログを書いて金持ち高校生になっていたことでしょう。
そして、僕は学校で一躍有名。
パンティインフルエンサーとして活動し、学年を越えて「エロのカリスマ」として人気を博し、アフィリエイトで稼いだお金で友達を懐柔。
僕の傘下に置くことで「コミュニティのリーダー」としてのポジションを獲得。
「え?今って、あの人が一番力あって、人気者なの??」
と女子たちも噂を嗅ぎ取り、僕は人気者の友達を多く抱え込むことで、各クラスの可愛い子ちゃんたちをよりどりみどり選び放題なスーパー高校生だったろうなと。
「あぁ、神様。俺に勇気があれば、女性と交わる性の喜びを身体で味わうことができただろうに。」
今でこそ、こうして過去の苦い思い出を冗談混じりに言えますが、
当時の僕にとっては、気になる子の連絡先を聞くという行為でも、バンジージャンプを飛ばされるぐらい嫌なことだったんですね笑
ところで、自分にとって強烈に嫌なことってなんですか?
例えば、お化けが嫌いな人だったら「ガチの心霊スポット」に行くことかもしれないし、
人によっては命の保証があるようでないかもしれないバンジージャンプかもしれないし、
ある人にとっては道端でタイプな女の子に声をかけて連絡先を聞くことかもしれないし、
人それぞれ負荷を感じるポイントは違えど、心に重度の負荷がかかることをって、まぁ避けたいじゃないですか。
例に挙げたもの以外でライトなものだと、
「髪型とか髪の色を変える」
ってのも人によっては十分負荷を感じるだろうし、
「好きな子の手を握る」
ってのも、余裕で負荷かかりますよね笑
何が言いたいかと言うと、
ノーペインノーゲイン「痛みなくして得るものなし」
です。
筋トレをイメージすると分かりやすいですが、重さ2kgの負荷1みたいなダンベルを一生上げてても意味ないで〜。
負荷から逃げて、楽なことばかりしとったらあかんで〜ってことです。
(ラウンジ譲との会話より)
で、何でこんな話をするのかというと、
本来恋愛という分野で自信を持ちたかったら、恋愛という分野で自分が苦しんでいること、苦手なこと、課題と向き合わないといけないはずなのに、
気づいたら困ったことに他のことに逃げてる人が、案外いるわけですね。
最近では「脱毛・筋トレ・ファッション・ビジネス」に逃げ込む人をよく見かけます。
「そう言えば、最近脱毛が流行ってるし、脱毛しておこうかな」
→広告で「脱毛したら可愛い彼女ができた!」的な動画広告を見て、まんまと感情を動かされ、「今は恋愛じゃなくて、まずは脱毛をして整えてからにしよう。毛がなくなって気持ち的にスッキリしてから、がっつり恋愛に取り組もう」と本来やらなければならないことから脱線している
「筋トレして、自信をつけてから恋愛に取り組もう」
→筋トレをして筋肉がついても、メンタルは強靭になっていない。結局、気になる人に連絡先を聞くときはいつものようにビビり散らしてしまうので、仮に筋肉に自信が持てたとしても、「気になる人に連絡先を聞く」っていうところでは自信が持てるようになったわけではない。
「ビジネスで月収100万円を稼いで、ファッションとか遊びに投資できるようになってから挑もう」
→仮に稼げたとしても、「稼げる非モテ」であることには変わらず、恋愛という分野で経験値や自信がついたわけではない。
という感じで、やっぱりその分野の自信が欲しかったら、その分野で挑戦して、
「自分に打ち勝つ」
しか、方法ってないんですよね。
例えば、気になる子に連絡先を聞く勇気がなかったら、
「気になる子に連絡先を聞くっていう下りを成功するまでやり続ける」
っていうアプローチしかなくて、
他で誤魔化そうとしても、肝心の「気になる子に連絡先を聞く」っていう部分は未解決で終わってしまうんですね。
僕も、大学3年生のときに、同じ学部で一番目立ってるバイトでキャバ嬢をしていたお姉さん系ギャルに声をかけて連絡先を聞こうと思った経験があるんですね。
で、いざ声をかけようとしたら、やっぱり死ぬほどビビりまくって、
「あ〜、今週も声かけれなかった。。」
って自己嫌悪に陥ってました。
2、3日はひこずって、また翌週も声をかけようと思って、勇気を振り絞って声をかけようとしても、やっぱり今週もダメ…
そんなこんなで毎週のように自己嫌悪に陥りまくって、さすがに反省ばっかりしまくってたら、
「これ以上情けない自分はもう嫌だ。別に断られても死ぬわけちゃうし、ええ加減いくならいくでなんとかせえへんと、今のままやったら一生後悔を残すしょうもない男のままやわ。」
って自分への怒りや憤りが臨界点を越え、自分の怒りや憤りが原動力になり、ついには声をかけました。
「あのー、先週のノートって取ってます?
僕先週の授業出てなかったんですけど、お姉さんならノート取らなさそうに見えて意外にバリバリノート取ってそうやなーって思ってw」
そうすると、
「ノート??取ってますよー!コピーか何か取ります?」
って言ってくれて、
「はい!ありがとうございます!さすがにお礼をしないと気が済まない主義なんで、今度お礼させてくださいw」
的な感じで見事にラインを交換して、そこからスタバでお茶したり、当時ハーレーのようにデカいアメリカンのバイクの後ろに乗せてよくドライブに出かける関係になりました。
結果的には抱けなかったんですが(チャンスを伺ってましたが、一切隙がなかったですねw)、今でもまだ繋がってますし(もうあれから10年かな笑)、
何より自分の中では、
「勇気を振り絞って行動したら、思いのほか大きな成果が出せる」
っていう強烈な成功体験を積むことができました。
あのとき、もしも一歩踏み出していなかったら。
仮にマッチングアプリで出会った女の子と9割の確率でセックスができたとしても、
不意に気になる子が現れたときに、「声をかけて連絡先を聞く」っていうことは、未だにできないままだっただろうな〜と思います。
「マッチングアプリで出会ってセックスする」っていうところにおいては自信はついただろうけど、気になる子の連絡先を直接聞くっていうところは自信がないまま、未解決で終わっていたことは間違いありません。
このことからも分かるように、
ということなんですね。
なぜ、僕がここまでハッキリと断言できるか?
それは、


結局、本来自分がやるべきことから逃げて、「自分を変えよう」「自分に打ち勝とう」というそこへのアプローチから逃げてきたから、
他の領域でどれだけ偏差値70に近い高い成果を出したとしても、
肝心の恋愛という分野においては、ちっちゃいやつがデカイ図体の中に隠れ潜んでいる状態なんです。
今まで辛いことや向き合わないといけないことから逃げ続けた結果、
放置し続けてきた癌が自分を蝕み続け、放置してきた年数の分だけ、癌の進行ステージが悪化。
「いまさら、ダサくて弱くてどうしようもなく情けない自分と向き合うことなんてできない…」
なんてつらい状況になるし、
いざ堅牢な心の扉を開けようものなら、
地獄の番犬「ケルベロス」が待ち受けているみたいな…
もうね、地獄の扉を開けられなくなっていくんですよ。
だって、地獄の扉を開けようものなら、
「結局、その分野における自信とはその分野でしか培えなくて、他の分野で補おうと無意識的にした歩みが、すべて間違っていたことに、自分で気づいてしまうから」
で、それってハッキリじゃなくても、なんとなく自分で分かってしまうから。
自分の過ちを認めたくないじゃないですか。
今さら、自分の何年もの、人によっては10年もの努力を否定できないじゃないですか。
自分の人生を否定しようものなら、とてつもない絶望感と虚無感に襲われて、怖くて、つらいですよ。
だから、必死に、
「俺はこれで間違っていなかったんだ。あのときは、そうするしかなかったんだから。凡人より能力に秀でた俺が、人生の過ちを犯すわけがない。」
自分を理屈で納得させ、正当化し、丸め込むしかなくなるんです。
なんだか漫画で光の主人公と闇のライバルみたいな設定ってよくありますよね。
例えば、ナルトとサスケなんてまさにそうですよね。
漫画から生き方や本当の成功法則を学べることって「案外多いなぁ~」って思ったりします。
とまぁ偉そうに言うてますが、僕も人事ではなく余裕で道を踏み外すこともあるかもしれないので、そのときは、
「恋達さん!最近どうかしてますよ!本来の恋達さんじゃなくて、闇に飲み込まれそうになっています!」
って警笛を鳴らしてくださいねw
「マジか!よくぞ言ってくれたわ!!危うく自分を見失いかけそうになるとこだったわ。。おかげさまで、九死に一生を得たわ、、」
って言うのでw
人間完璧でも完全体でもないので、お互いに道を踏み外しそうになったり、人生の方向性がブレたときは修正し合いましょう笑
お互いに良い意味で相手に遠慮せずに、間違っていることは間違っているって言える関係こそ『人生の同志』だとも思いますし、『本当の仲間』だとも思いますからね!
この記事を見てくれている人の中に未来の同志がいることを願っています。
それでは!