メッシ 恋達

実は僕もメッシと一緒なんです。「ハンディキャップのあるあなたが、外見のハイスペック”イケメン”を凌駕し、改善を繰り返すことでモテるようになる理由」

 

どうも、恋達です。

実は僕、メッシと一緒なんです。

「え? お前急に頭でもおかしくなったか? 恋達とメッシがどう関係あんねんあほ」

 

はい、ここまでは万事おっけーですw

皆さんもご存知のメッシなんですが、サッカー選手としてはかなり小柄で身長も169cmほどしかなく、11歳のとき、成長ホルモンの分泌に異常が見つかって、身長を伸ばす手術を受けたという下りは、聞き古されているかもしれませんが、

メッシはこんな言葉を残しているんです。

 

「小さかったおかげですばしっこく、足に吸い付くようなドリブルを習得することができた」

 

これ、紛れもなく僕と一緒ですよねw

僕の場合、成長ホルモンの分泌に異常はなかったんですが、僕の声帯は先天性で生まれつき声帯が痩せています。

現代の医学では治らないもので、よく言えば、ハスキーボイス。悪く言えば、カスカスな声です。

 

身長もメッシと同じぐらいで、恋愛をするにあたって、身長が低いというだけで、

高いピンヒールを履いたお姉さんに舐められたような目つきで見られたり、見下されてきました。

また、声のせいで、「風邪引いてるの?」「どこからそんな声出してるの?」「声大丈夫?」初対面の女の子に何百回とバカにされてきました。

 

何が一緒かって、非常に大きなハンディキャップを背負っていたということです。

数々の苦しみを味わいました。

 

「友達のように身長が180cmあれば、今頃どんなにモテてたことだろう。。」
「俺の親父は身長172cmで、母ちゃんは165cmもあるのに、なんで俺は健康診断で年々169cm→168cm→167cmと縮んでいっとんねんw」
「正味男の人がカッコよく見えるのって身長とかスタイルとかシルエット的な要素めっちゃでかいやんけ。」
「今の笑いって俺が言ったことに笑ってるんじゃなくて、俺の声に笑ってるやん絶対。」

 

でも僕は諦めませんでした。

 

身長と声というハンディキャップを背負っていたとしても、僕は美人にモテたいという飽くなき欲求がありました。

決して目の前の状況、自分の現状のレベルから現実逃避することなく、そして諦めることなく、僕はまだまだ高みに登ることを堅く自分に誓い、それだけを10年間守り通してきました。

 

人間って不思議なもんで、例えば目が見えなくなるとそれを耳が補おうとして異常に聴力が発達しますよね。

逆も然りですが。

人間の脳は素晴らしいと思います。

 

僕がモテる男になったのはコンプレックスがあったからにも書きましたが、ある種の欠陥部分やコンプレックスがあったからこそ、異常なまでに洞察力が身につきました。

女の子の顔の表情、ファッション、身につけているものから、瞬時に女の子の癖や私生活、価値観、趣味嗜好が分かるようになりました。

しまいには、クラブなどの大音量で音楽が流れている場所でトークが封じられ、得意のトーク力が発揮できないときでも、目力だけで口説くという技も体得できました

 

僕はイケメンに生まれなかったことを人生最大の得だと考えています

 

恐らくこの先もこの考えは変わらないと思います。

もしも僕がイケメンに生まれていたならば、僕に伸びしろはなかったでしょう。

何より、伸びしろ以前に、

自分の欠陥部分を補うための努力をする蓋然性に気づけなかったでしょう。

 

イケメンは生まれ持ったルックスの良さという貯金だけで人生の序盤を過ごします。

自分の顔やスタイルに女性が寄ってきているということに自信を持ち、それだけを武器に人生を生きることになります。

ゆえに、後天的に身につく男らしいメンタルやどんな女性でも楽しませるトーク力、粋な振る舞い、人生で深く悩んだ人にしか宿らない人間的な魅力は諦めざるをえなくなってしまいます。

生まれ持ったルックスの良さに溺れ、努力を全くしなくなることでもあります。

 

こんな話があります。

ある時、カニを食べたことがない貧乏な家族がいました。

カニを食べたことがない貧乏な家族は、裕福な家庭ではカニが食べられるという事実を知り、「カニを食べることができたら、どんなに幸せなんだろう」と家族でTVを見ながら話していました。

 

そこで、とある企業がこんなことを考えました。

 

「カニが食べれない貧しい家庭の人たちに、まるで本物のカニのような味のするカニのカマボコを作ってはどうだろうか? そうすれば、きっと本物のカニを食べたことがない人たちは大喜びして、カニってこんなに美味しいものなんや!これは素晴らしい!本物のカニは食べれないけどこのカニのかまぼことかいうやつはなんて美味しいんや!」

と思うに違いない。

「よし、一念発起してカニを食べたことがない人にでも、カニのカマボコを食べてもらうことで、日本中を喜ばせよう!

そして、その名前をカニカマと名付けよう!」

 

しかしながら、いくつも試作品を作るものの、自分たちが思い描いているようなカニカマを作ることができず、日夜研究を繰り返し、新しいカニカマを作っては味見をし、気づけば駄作はおびただしい数になってました。

「こんなんじゃカニを食べたことのない人たちにカニの味ってこの程度のもんなんや。とがっかりさせてしまうだろう。もっとカニの風味や味に近づけるためにはどうしたらいいんだろう。」

 

日夜研究と開発を繰り返し、ある時本物のカニの味に近いカニカマを開発することに成功しました。

研究、開発に携わっていたメンバー一同、そのカニカマを試食し、口を揃えて、

「これはいける!」

と喝采の声を上げました。

 

無事に本物のカニをなぞらえて作られたカニカマは大々的にCMを打つことで世の中に広まり、一躍ムーブメントを巻き起こすなど、大盛況でした。

そして、本物のカニを食べることができない家族はカニカマが発売されたことをCMで見て、早速スーパーへ行きました。

スーパーでカニカマを買って帰った家族は家に着くと、すぐさま、そのカニカマを食卓に並べ、食べることにしました。

「うまい!なんてうまいんだ!カニってこんなにうまい食べ物だったのか!俺は人生でこんなにうまい食べ物があることを知らないでいたのか!危ない危ない!カニを食べずに人生が終わるところだった!とにかくこのカニカマを食べることができて幸せだ!」

と。

 

ある時、カニカマに慣れ親しんだ家族はインターネットの懸賞サイトでアンケートに答えていた抽選が見事当選し、北海道産からタラバガニが送られてきました。そしてその冷凍された北海道産のカニを使ってカニ鍋をすることにしました。

 

「???」

 

「これが本物のカニなのか? カニカマの方が美味しいぞ! 俺たちが思っていたカニとはこの程度のものなのか。

お父さん!やっぱりカニカマの方が身がぷりぷりしてて食べ応えがあって美味しい!このカニなんか身がすかすかで食べるところがないし美味しくない!」

ここでカニカマの物語は終わるんですが、このカニカマが生まれたストーリーから、着目すべき事実があります。

このカニカマの話は恋愛も一緒で、モテるためには何が必要かを考え、絶えず改良を繰り返すことで、カニカマの例のように普通の人でも、ブサイクな人でも、イケメンよりモテることができるんです。

つまり、努力や改善を行い続けることで、

先天的なスペックを凌駕することができる魅力が宿るということです。

 

欠点や穴というのは時として、その欠点や穴を補おうとする時に、チャンスが生まれます。

欠点や穴があるからこそ、未来があるんです。

 

逆に、あなたがイケメンだったらどうでしょうか?

 

恐らく、今の自分に満足しきって努力することはなかったことでしょう。

努力をしないということは、社会、世の中が絶えず進んで行っているのに立ち止まっているということです。

退化、劣化を意味します。

極めて恐ろしいことで、生物は進化を繰り返してきた背景を無視してしまうことになります。

それは、拡大再生産が基本の資本主義社会で淘汰されることでもあり、死を意味します。

僕のように、コンプレックス、欠点、穴、ハンディキャップがある人は多いに感謝すべきです。

 

きっと、僕のブログやメルマガ講座等でモテを学んで、数ヶ月後、数年後えげつないくらいモテるようになったみなさんはこう言うでしょう。

 

 

 

イケメンに生まれんくてほんまに良かったわ。