かつての日本は、士農工商等の身分制社会の影響を色濃く受け、恋愛や結婚に対して、当然の、ある決まりや認識があった。
お見合い婚である。
自分の職業や身分によって結婚相手は”なんとなく”決まっており、周りの人たちが縁を運んできてお見合いで結婚する流れがあった。
当然そこに、「俺は美女を倒したい!身分や家柄などなくても、認識体現力やトークを駆使して最強の美女と結婚するんじゃ!」とどれだけ強く望んでも、到底その夢は叶えられるような社会構造ではなかった。
むしろ社会構造がある故に、そのような型破りな発想さえも思いつけないような時代だった。
美女は風俗や遊郭で嗜むもの。恋愛や結婚は全く別。そのような諦めにも似た、当時の”当たり前”の認識があった。
ただ、当時の男性の幸福度は別に低くはない。
『美女は自分次第の力で手に入れられるもの』という発想すらなく、体現している人すらいないので、そのような願望が湧かないからである。
「美女は倒せるもの」というゲシュタルト自体が生まれなければ、そこに憧れや期待など生まれない。
それと同時に、当時の村社会という背景も考慮すると、ストリートナンパや浮気すら一般人は許されていないため、目の前の女性(交際相手や結婚相手)から幸せを得るしかなかった。
だからこそ、その人の良いところを無意識レベルで探し出し、脳が幸せを感じることができた。
当時の男性は美女を倒せていないが、それはそれで幸せだったのである。
それから時代は流れ、社会構造は大きく変わり、我々を取り巻く恋愛観・結婚観もダイナミックに変化した。
都市部の繁栄・地方の衰退という二極化が進み、核家族化、1人暮らし化が進行した。
都会に若者は溢れ、誰が何をしていても、知り合いにバレなくなり、欲の制御が外れた。
いわゆる、『都市部における個人の匿名化』である。
この流れが行き着いた先は、当然“ストリートナンパ”である。
都市部の構造の匿名性に気づき、勇気や度胸もある一部の男性がストリートナンパ界に進み、日々、美女を抱くために奔走している。
また、それとは別の流れとして、技術革新が起こり、インターネットが爆発的に普及し、そこに大企業の資本が流入し健全性が担保され、『出会い系アプリ』の大流行が起こった。
ストリートナンパはできない男性でも、出会い系アプリの旨味-利便性・レバレッジ・コスト感覚-に気づいた人が日夜大量に女性と出会っている。
ではストリートナンパをしている人、出会い系アプリに着手している人は美女を抱けて幸せなのか?
それが、幸せではないのである。
なぜか?
それは、ストリートナンパ・出会い系アプリという、「無限に出会いを生み出せる手段」と「もっとスト高を抱けるかもしれない期待感」を手にしてしまったからである。
逆説的なのだ。
昔の社会のように制限がある時代ではなく、現代に生まれ、現代の社会の恩恵に気づいてしまった人たちが、恩恵に気づいてしまったゆえに、いつまで経っても幸福感を感じられなくなってしまったのである。
つまり、ナンパ師や恋愛工学生、そしてネトナンで出会いまくっている男性は総じて不幸なのである。
女性に対して、”期待”してしまうからこそ。
では、ナンパ師や恋愛工学生はどうすれば幸せになれるのだろう。
無限に出会いを生み出せる装置(ストナン・ネトナン)を自分の中で封印し、世間一般の生活に溶け込み、職場や知り合いなどの限られたパイの中でパートナーを見つけ、幸せを見出せばいいのだろうか。
いや、おそらくできない。
僕たちは、『出会いは無尽蔵に生み出せる』ことも、『美女は、努力やテクニックやマインドで抱くことができる』ということも知ってしまっているから。
この世界(ナンパ界隈など)の存在を知ってしまったその日から、もう偽りの幸せで自分の気持ちに蓋をすることなんて、到底できなくなってしまっているのだ。
この文章を読んでくれているあなたは今不安にさられているでしょう。
「全然美女倒せへん」
「ほんまに努力や認識体現力を身につけることで俺なんかがモテるようになるんやろうか」
「努力してるのにメンヘラしか抱けへん」
「美女抱いても、もっと美女を求めてしまう。真の美女を抱きたい」
ただ、僕はあなたが数年後、最高の美女に囲まれている生活を送っていることを知っています。
努力し続けた先に、輝かしい未来が待っていることを知っています。
「自分の努力の先に、本当に美女が待っているのだろうか」
そう疑心暗鬼になったときに、この文章を読み返してください。
「いけるで!」と自信を持って背中を押しているからです。
我々は、ストナン・ネトナン・間接ナンパという“禁断の果実”を食べてしまいました。
もう引き返すことはできません。
偽りの幸せで蓋をすることもできません。
この道を、
美女に通じる恋愛業界を、ただひたすらに突っ走るしかありません。
世の中の大半の一般人は、僕たちを見てあざ笑うでしょう。
「きりないやんw 不毛やんw 何が美女やねん。アホか」と。
しかし僕たちは知っています。
美女を愛し、美女から愛される以上の幸せなど、男の人生に存在しないということを。